好きな音楽を聴いていると、もう少しこの響きの中にいたいと思うことがある。曲が終わるのが惜しくなったり、気に入った部分を繰り返し聴きたくなったりする。僕にとって音楽を作る喜びは、そんな気持ちの延長にある。自分が聴きたいリズムや音色を、自分の手で並べられる。探していた音楽に近づく方法が、聴くことだけでなく、作ることにもある。その可能性に惹かれている。
音楽の好みは、ひとつのジャンル名だけでは言い表せない。ゆっくりした曲が好きでも、ただ遅ければよいわけではない。静かな曲の中に少しだけ強い低音が欲しいこともあれば、明るいメロディーにわずかな寂しさを感じたいこともある。僕が好きだと思う理由は、音同士の細かな関係にあるのかもしれない。自分で作るときには、そうした小さな好みにも耳を向けられる。
もちろん、誰かの曲を聴く楽しさは、これからも変わらない。自分では思いつかない展開や、意外な音の組み合わせに出会えることは、音楽を聴く大きな魅力だ。そのうえで、今の気分に合う音楽を自分でも作れたら嬉しい。好きな曲を置き換えるためではなく、好きな音楽との関わり方を増やしたい。聴いて心が動き、その気持ちからまた音を作る。そんなつながりを大切にしたいと思う。
僕が面白いと感じるのは、好きなものを具体的に選べるところだ。例えば、リズムは軽くしたいけれど、ベースには少し重みが欲しい。メロディーは短く、余韻は長めに残したい。曲を作る前は曖昧だった好みが、ひとつずつ音を選ぶうちにはっきりしてくる。「なんとなく好き」を、音の長さや強さ、入るタイミングに置き換えていく。その作業そのものにも楽しさがある。
音色を選ぶときにも、自分の気分を確かめられる。同じフレーズでも、輪郭のはっきりした音にするか、柔らかく広がる音にするかで、聴きたいと感じるかどうかが変わる。華やかな音が似合う日もあれば、目立たない音を選びたくなる日もある。どちらかひとつを自分の好みと決めなくてもいい。今、耳が喜ぶほうへ少しずつ寄せていけることが、自分で作るよさだと思う。
自分の好みを考えると、足すことと同じくらい、引くことにも興味が湧く。ドラムを少し減らす、メロディーを休ませる、音が消えたあとの時間を残す。すると、聴きたかった響きが前に出てくるかもしれない。何かが足りないと感じるたびに音を増やすのではなく、今ある音をもっと聴ける形にする。僕にとって、そういう選び方も音楽を作る喜びのひとつだ。
DTMでは、その選択を実際に鳴らして確かめられる。頭の中だけで考えていると、よさそうなアイデアでも、本当に合うかは分からない。音を置いて聴き、違うと感じたら変えてみる。テンポを少し落としたり、低音の入る場所をずらしたりするだけで、気分に合う形へ近づくこともある。自分の好みを、想像だけで終わらせずに聴けることは、僕にはとても大きい。
ただ、思い描いた音楽が、そのまま出来上がるとは限らない。好きな音を集めたはずなのに、一緒に鳴らすと落ち着かないこともあるだろう。よいと思ったメロディーが、曲全体では目立ちすぎるかもしれない。そこで初めて、ひとつの音が好きなことと、組み合わせた音楽が好きなことは違うのだと気づく。うまくいかない部分を探す時間も、自分の好みを知る時間になるのだと思う。
その過程では、予想していなかった好みに出会えることも楽しみにしている。静かな音楽を作るつもりでも、少し勢いのあるリズムが気になるかもしれない。苦手だと思っていた音色が、別の音と重なると心地よく聴こえるかもしれない。最初のイメージは、進むための手がかりになる。でも、作りながら生まれた「これも好きだ」という感覚まで閉じ込めたくはない。好みが広がる余地を残しておきたい。
自分が好きな音楽を作るなら、難しいことができるかどうかだけで判断しなくてもよいと思っている。短いメロディーが、ちょうどよい音色で鳴っている。それだけで、しばらく聴いていたくなることもある。たくさんの展開を入れなくても、同じフレーズの繰り返しに安心するなら、その感覚を大切にしたい。知識や技術を学ぶことは続けながら、今できる範囲の音にも楽しみを見つけていきたい。
僕にとって嬉しいのは、曲が完成する前にも、その喜びを味わえることだ。いくつかの音が重なって、もう一度再生したいと感じる。まだ短くても、「この部分は好きだ」と思える。そんな瞬間があると、そこから先を作ってみたくなる。完成した作品だけを成果と考えると、途中の楽しさを見落としてしまう。気に入った数秒に出会うことも、音楽を作る時間の大切な手応えになる。
それでも、短いアイデアをひとつの曲へ育てることには、別の喜びがある。どこから始まり、どこで音を増やし、どう終わるかを考えると、好きなフレーズの役割も変わる。何度も聴きたい部分だからこそ、出てくるまでに少し間を作る選択もできる。曲全体の流れを自分で決めることによって、好きな音をただ集めるだけでは得られない満足に近づける気がする。
作った音楽を聴き直す時間も大切にしたい。作業中は細かな部分が気になっていても、少し離れて聴くと、全体として好きかどうかを考えやすくなる。気になる場所があれば直せるし、思っていた以上によい部分が見つかるかもしれない。自分で選んだ音が、自分の耳へ戻ってくる。そのやり取りの中で、作る側と聴く側の両方を行き来できるところが面白い。
自分で作ると、誰かの音楽にも違う角度から関心を持てる。なぜこの場所で低音が入るのか、どうしてここだけ音が少なくなるのか。そうしたことを想像すると、好きだった曲に新しい発見が生まれる。作曲者の答えを決めつける必要はない。ただ、自分ならどうするだろうと考えながら聴く楽しさが加わる。音楽を作ることは、僕にとって、聴く楽しみをさらに深くすることにもつながっている。
他人と比べたときには、自分の曲の足りないところが目につくかもしれない。もっとよい音、もっと自然な展開を目指したくなる。その気持ちは、学ぶ理由になる。一方で、比べることに気を取られて、自分が聴きたかった音を見失いたくはない。上手になりたいという思いと、自分の好みを形にしたいという思いは、どちらも持っていていい。今の曲に好きな部分があるなら、それも次へ進む力になる。
誰かに聴いてもらって、気に入ってもらえたら、もちろん嬉しい。自分が好きだと思った響きが、別の人にも届く可能性がある。でも、反応がまだなくても、自分で聴き返したい一曲を作れたことには意味があると思う。好みは人それぞれで、すべての人に合う必要はない。僕自身が聴きたいものを丁寧に形にすることが、結果として同じ感覚を持つ誰かとの接点になるかもしれない。
今の好みが、ずっと同じとは限らないことも楽しみだ。新しい曲を聴いたり、違う音を試したりするうちに、作りたいものも変わるだろう。前に作った音楽を残しておけば、その変化を聴ける。以前は好きだった響きにまた戻ることも、別の方向へ進むこともできる。自分の曲が少しずつ増えることは、作品が増えるだけでなく、好きな音楽との付き合い方が積み重なることでもある。
音楽好きな人が、自分の好みの音楽を自分で作れる喜び。それは、聴きたいと思った音に、自分から近づいていける喜びなのだと思う。選び、鳴らし、聴き直しながら、まだ知らなかった自分の好みを見つけていく。最初から完成度の高い曲でなくてもいい。まずは気に入った音がひとつあれば、そこから始められる。好きな音楽を聴く時間も、自分で作る時間も、僕はこれから大切にしていきたい。

